訃報です。
平成の三四郎と呼ばれた、古賀稔彦さんが、今朝亡くなったとの
報道がありました。
53歳という若さだったそうです。
関係者の話では、「最近急に痩せた」という話もあったそうです。
詳しく追いかけてみました。
目次
古賀稔彦さん死去
今朝、「平成の三四郎」と呼ばれた、古賀稔彦さんが
自宅で亡くなったことがわかりました。
53歳という若さでした。
報道によると、ガンの闘病生活を送っていたとのことで、
死因もガンとされています。
古賀さんは、1992年のバルセロナオリンピックにおいて、
柔道男子71キロ級で、金メダルを獲得しました。
2000年に引退したのちは、指導者として日本女子柔道の選手を
鍛えあげました。
他にも日本柔道連盟の強化委員、JOC東京五輪強化スタッフなどを
勤めていました。
コロナでなくガンで亡くなっただけ、
ご家族と最後の時間を過ごせたのでは、と思ってしまいます。
ご冥福をお祈りいたします。
「平成の三四郎」
古賀稔彦さんと言えば、「平成の三四郎」として名を馳せました。
その名前の由来が、背負い投げです。
写真でもわかりますよね。
横に崩れる、というのではありません。
完全に相手の体を浮かせ、まさに背負って投げているのです。
得意の背負い投げは、中学の頃から使っていたそうです。
この写真は高校のものですが、後列左端が、当時副主将を勤めていた
古賀さんです。
こののち日本体育大学へと進学し、さらに柔道の道を極めていきます。
ちなみに卒業論文は、「背負い投げの魅力を探る」だったそうです。
古賀さんらしいですね。
一年ほど前から「痩せた」?
実は、一年ほど前から、古賀さんが急に痩せたのでは?という声がツイッターで散見されました。
一年前くらいに古賀稔彦がかなり痩せたってつぶやきを見たんやけど、何か患ってたんかなぁ
— 𝔹𝕠𝕠𝕙 (@CBJimandB) March 24, 2021
元気そう、少し痩せたカナ?
Jリーグ・鳥栖ー川崎戦で古賀稔彦さんが始球式 ふろん太と柔道対決も <月刊サガン鳥栖3月号>|スポーツ|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE https://t.co/JQq5qTu2hp— 🍳 Mican (@Mican97719417) March 24, 2021
RT 古賀稔彦さんは私の通っていた中学校で講演に来てくださいました。「本当に強い人は体罰に頼った指導をしない、体罰は指導の放棄」と仰っていました。
当時私が所属していた部活では体罰が当たり前だったので…。
痩せたと噂を聞いていましたが、癌の闘病をされていたのですね。どうか安らかに…
— おても やん。 (@Saturday_lovers) March 24, 2021
しかし、昨年にはバラエティ番組に出演するなど、
ガンを患っているなど、全くわかりませんでした。
だからこそ、突然の訃報に関係者のみならず、
Twitterなどでも悲しみに溢れたツイートが溢れているのでしょう。
古賀稔彦さんの姿を時系列で比較!

こちらは、2018年に撮影された古賀さん。
ふっくらとして優しそうな雰囲気が特徴的ですね。

2020年11月ごろの古賀さんです。
頬のあたりがシュッとしたように見えますね。
この頃から、周りでは「激ヤセした」という声が上がり始めます。
子供に柔道を教えている様子でしたが、
どこか疲れているような雰囲気があります。
シュッとした、というよりげっそりしている、
という方がいいのかもしれません。
それでも子供を見る目は優しく、
体罰をとことん嫌った古賀さんの
本質が見えてくる気がします。
以前とはまるで別人…。
インタビューに答えてはいるものの、どこか虚ろで、
ぼんやりとしている感じがします。
抗がん剤治療や痛み止めの影響もあったのでしょうか?
父親は悪性リンパ腫!?
柔道家の古賀稔彦さん、お父様が1996年に享年56歳で悪性リンパ腫で亡くなってるみたいだから、癌家系だったのかもしれないですね。
ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/MY4z71F20L— ヴィヨンド (@hankyukurasuta) March 24, 2021
実は、古賀さんのお父様は、1996年に、56歳という若さで、悪性リンパ腫で
亡くなっているようです。
悪性リンパ腫とは血液のガンで、血液を通じて身体中どこにでも転移するという
「完治」させることができず、症状を落ち着かせることしかできないガンです。
古賀さんはお父様よりもお若く亡くなってしまったのですね…。
古賀稔彦さんの来歴
中学・高校時代の戦績
- 1981 全国中学校柔道大会 団体戦 優勝
- 1982 全国中学校柔道大会 団体戦 2位
- 1984 金鷲旗 優勝
- 1984 インターハイ 個人戦中量級 優勝
- 1984 国体 少年男子の部 優勝
- 1985 全国高校選手権 優勝
- 1985 講道館杯 2位
- 1985 国際高校柔道選手権大会 優勝
- 1985 金鷲旗 優勝
- 1985 インターハイ 個人戦中量級 優勝 団体戦 2位
- 1985 国体 少年男子の部 優勝
すでに中学、高校時代から、輝かしい成績を誇っていたのですね。
71kg級での戦績
- 1985 フィンランド国際 優勝
- 1985 新人体重別 優勝
- 1986 イタリア国際 団体戦 2位
- 1986 世界ジュニア 優勝
- 1986 選抜体重別 2位
- 1986 正力杯 優勝
- 1986 国体 成年男子の部 優勝
- 1986 嘉納杯 優勝
- 1987 正力国際 優勝
- 1987 講道館杯 2位
- 1987 選抜体重別 優勝
- 1987 世界選手権 3位
- 1988 正力国際 優勝
- 1988 講道館杯 優勝
- 1988 選抜体重別 優勝
- 1988 正力杯 優勝
- 1988 世界学生 優勝
- 1989 正力国際 優勝
- 1989 講道館杯 優勝
- 1989 選抜体重別 優勝
- 1989 世界選手権 優勝
- 1990 正力国際 優勝
- 1990 講道館杯 優勝
- 1990 選抜体重別 優勝
- 1990 アジア大会 3位
- 1990 嘉納杯 優勝
- 1991 講道館杯 優勝
- 1991 選抜体重別 優勝
- 1991 世界選手権 優勝
- 1992 講道館杯 優勝
- 1992 選抜体重別 優勝
- 1992 バルセロナオリンピック 優勝
78kg級での戦績
- 1994 講道館杯 5位
- 1995 ドイツ国際 2位
- 1995 選抜体重別 優勝
- 1995 世界選手権 優勝
- 1996 選抜体重別 3位
- 1996 アトランタオリンピック 2位
81kg級での戦績
- 1998 講道館杯 3位
- 1999 講道館杯 3位
- 2000 ロシア国際 3位
体重無差別大会での戦績
- 1990 全日本選手権 2位
71キロ級時代は、もう負けなし、というところでしょうか。
優勝しかしていないのでは…。
どんな体勢でも転がしてしまう背負い投げ
見ていると、
「なんでこんなに簡単に相手は転がるんだろう?」(@ω@?)
ってなりませんか?
古賀さんが活躍したころ、オリンピックの採点基準が変わりつつあったようで、
その中でも「日本柔道」を貫いた古賀さんは、
世界で恐れられていました。
本当に、もっと長生きしていただきたかったですね…。
ネットの声

え〜〜〜〜〜❗️#古賀稔彦 さん
亡くなった⁉️53歳やし❗️😭😱😭
早い❗️若いよ‼️
死因はガン
バルセロナオリンピックで#吉田秀彦 選手との乱取りで
膝を痛めても『金メダル🥇』今でも覚えてるわ😊👍🏼
いろんな意味で
バルセロナ乗り込む大会は
感動が山盛りご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/IyYgQSrS6i
— 🍷日本 🍔NY 時々 españa🇪🇸 (@ZooTurkey) March 24, 2021
ご冥福をお祈りいたします🇯🇵
残念です。柔道 金メダリスト 古賀稔彦さん死去 53歳 | おくやみ | NHKニュース https://t.co/4usOaUZpr9
— タラのめ #DOJ【DOJ🛡NO.0118】 (@tomarigi25) March 24, 2021
古賀稔彦亡くなったん!?やば…
— 菌 (@pad_Honopi) March 24, 2021
古賀稔彦氏死去 ネットに衝撃 (スポニチアネックス) – auヘッドライン – auサービスTOP https://t.co/6hy2Mo6ExL
残念です‼️
まだまだ、此からと言う時に。柔道界にとっても多大な損失。自身の金メダル。谷口さんが優勝して飛び付いた光景を思い出します。
謹んでご冥福を御祈り申し上げます。
— 呑んだくれ (@oD5coymWFW98aZI) March 24, 2021
古賀さん含め有名な柔道選手は大体、東京ならウチの中学出身
全国の柔道選手が、世田谷の中学とそのあと何処か柔道で有名な高校に行くとか
古賀さんは大先輩だけど、写真飾ってあったな…
同級生の柔道部の人達も筋肉ムキムキで青春を捧げてたなぁ…
体育祭の時のパフォーマンス良くて
#古賀稔彦— ayukyochi@映画ブログ (@kyochis7) March 24, 2021
あの見るからに丈夫そうな古賀稔彦さんが亡くなったと連絡がありました。
学生の頃は地方実演会などご一緒し、弘前大学院の関係でも、いつも優しく声を掛けてくれて、突然お電話を頂いたり、今でも信じられません。
古賀先輩の講演会、聞きたかったです。
平成の三四郎。心よりお悔やみ申し上げます。— 佐藤弘道 (@sato_hiromichi) March 24, 2021
古賀稔彦さん、心よりお悔やみ申し上げます😢
#古賀稔彦#三四郎— も〜 (@maroncake_6833) March 24, 2021
古賀稔彦さんの背負い投げは芸術だったな、ご冥福をお祈りします
— あぼかど (@avocard) March 24, 2021
古賀稔彦さんが亡くなったショックで、今日はいろいろな事が頭に入ってこない…。
— うまねこ (@Horse_and_Cat) March 24, 2021
甦るあの夏の興奮。1992年・バルセロナオリンピック。試合直前の負傷。その逆境を見事に乗りこえて世界の頂点に立った平成の三四郎・古賀稔彦を身近に見守ってきた兄が綴る感動の秘話。
古賀稔彦が翔んだ日―バルセロナ、奇蹟への道 古賀 元博 https://t.co/3zYJopJnFV @amazonJPより
— 大西英二 (@dyran2009) March 24, 2021
若すぎるだろう…💦
「平成の三四郎」古賀稔彦氏死去 バルセロナ五輪金 https://t.co/YpE7qv7SJV
— RN.ロードバイカー (@ichiroai8) March 24, 2021
え?え?ウソでしょ?
柔道 金メダリスト 古賀稔彦さん死去 53歳 | おくやみ | NHKニュース https://t.co/fOExHaHOQz
— とも (@tomoned) March 24, 2021
古賀稔彦さん、ご自身が病気で療養中だったことを表に出さなかったのは古賀さんの美学だったのかな…。古賀さんの活動を聞くたびに人格者だったことが伺える方。
— 慶子 (@keiko_68) March 24, 2021
早すぎる、若すぎる、彼の柔道は芸術だった。
そんな声がいくつも上がっています。
そして批判的な意見が全く出てきません。
それだけ、古賀稔彦という平成の三四郎は、
日本にとって感動をもたらした存在だったのでしょう。
また、家族を亡くしてまだ数時間しか経っていない遺族に対して
無遠慮にインタビューするマスコミに対する怒りも
見受けられました。
日本中が知りたいことでも、今はご遺族の心が一番大切です。
古賀稔彦さんのお気持ちも汲んで、
マスコミは対応して欲しいですね。
古賀稔彦さん、
日本に感動をもたらしてくださってありがとうございます。
卒論の「背負い投げの魅力を探る」は、
生涯のテーマだったのかもしれませんね。
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